彼岸から見た景色

思ったことを適当に描いてみるエッセイ

世界の全てが怖くなったとき

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完全に病んでいました。

10月上旬にあった仕事のトラブル(というか損害)が収束せず、またコロナの影響もあってか他人からの悪意をモロに受ける場面もあったりして、11月はギリギリな精神状態で過ごしていました。

こういった心境のときは悪いことばかり考えがちで、妻や子供と一緒にいても漠然とした不安に襲われてしまうし、食欲はないし、何をしても楽しくありません。

 

明日もし妻が事故に遭ったら、来年子供が病気にかかったら、〇年後に両親が死んだら、数年後に職を失ったら…

考えてもしょうがない(しょうがなくはない)ことを24時間何度もループしてしまい、そのたびに不意に涙を流してしまったりして、妻にも心配をかけました。

とりあえずは周りの人達の助けもあり、なんとか平静に日常を送れるようになりましたが、とりあえずどっかに書き留めておきたいのでブログを書き殴っています。

 


amazarashi Online Live『末法独唱 雨天決行』Trailer

こういう精神状態にシンクロするようなamazarashiのLIVEトレーラー発表。

私のような漠然とした不安を抱えてる人は多いのだろうなぁ。

 

メンタルがここまでガタガタになったのは結構久しぶりだった気がします。

一番ガタガタしてたのは結婚して故郷である青森に引っ越してきた7年前あたりの頃、要は環境の変化が一番大きかった時期でした。

あの頃はメンタルを取り戻すのに数年掛かっていましたが、今回は1ヶ月程度で気持ちに余裕を持てるようになったので、あれからそれなりに成長できたのかなぁと思ったりもします。

 

今回は無理をせず、心療内科に受診することを考えていたのですが、そんな矢先に厚生労働省のHPにある「ストレスチェック」を見つけて試してみたり、家族が自死してしまった方のコラムを読み漁ったりして、どうにか一日一日を大事に生きてみようと考え方を変えて生活することにしました。

漠然とした将来の不安も、毎日できることをしっかりと行った上で何か悪いことが起こるのであれば、それはしょうがないことですからね。

5分でできる職場のストレスチェック|こころの耳:働く人のメンタルヘルス・ポータルサイト(自殺対策を含む) (mhlw.go.jp)

 

そうそう、ストレスチェックを試してみたところ、私のストレス指数はそこそこ高いものの、別に病んだりするようなレベルではありませんでした。

普段からぬるい環境にいたから、ちょっとの問題で簡単にグラグラしてしまってるわけですね。

ホントに私って豆腐メンタルなんだなぁと感じました。

 

しかしながら今回私が襲われてしまった漠然とした将来への不安は確かにあったし、これを振り払おうと思うためには「1日1日を大切に、やるべきことをこなす」の精神が必要なのかなと。

まぁあまり神経質になっても病む原因にはなるでしょうから、そこは自分なりのさじ加減でやる必要はあるでしょうけど。

 

 

話は変わって、コロナについて。

一時は収束の兆しが見えてきたコロナ禍ですが、11月からはまた感染者が増加するようになってしまいました。

国や県の制度や自粛要請に振り回されるホテル業界や、客足が途絶えた飲食店のオーナーなどの事を考えると胸が締め付けられます。

当初は諸行無常なのだと強がっていた私も、ひとつまたひとつとシャッターが下りる市内を見ると、それぞれに地獄のような苦しさがあるのだと悲しくなりました。

 

ここ数年は「人生は自己責任」という社会の風潮が強かったように思います。

これは私がTwitterでそういうアカウント(例えばひろゆきだとかtestosteroneだとか)をフォローしていたからというのもありそうだけど。

特に、スマホが登場してからは色んな事を瞬時に調べることができるようになり、己の力で勉強し、研鑽し、様々なサービスを駆使して、やる気と根性で人生はどうにでもできるような、そんな錯覚を私はしていました。

結果を見れば、コロナという一つの要因で多くの人が転職もままならなくなり、それ以外の要因でも例えばプリウスロケットのせいで妻子を失うなど突如幸せを失う人もいました。

 

関東で暮らす妹の最寄りの電車では先日、一週間に2回も人身事故が起こったそう。

どちらもちょうど妹の帰宅時間で2時間程電車が止まってしまったそうなので、恐らく誰かが線路に飛び降りたのでしょう。

もしかしなくても、亡くなったのは私より何倍も勉強してきていい大学を出た方だったと思うし、自死を選んだ苦悩と、電車を止めた遺族への損害賠償と、それに対して舌打ちする世の中も、全部が明日の我が身のような気がしました。

 

ある程度の自己責任で手に入れられた私の幸福も、結局はコロナを上回るような災害ひとつで簡単に壊れてしまうものです。

こんな簡単な事に、バカな私は気づいていませんでした。

 

そんなわけで、11月は仕事の憂鬱とコロナ禍の現状を再認識したのもあって、すっかり連絡するキッカケがなくなっていた友人達が恋しくなり、ふいにLINEを飛ばしてみたり、ボイチャをしながらゲームをすることもありました。

ひきこもりになってから、距離感を掴めずにいた幼馴染ともちょっとしたバーベキュー(ホタテとビールのみ)をしたり、人間嫌いだった私の性格も少しほぐれてきた気がします。

 

結局人生なんて、気に入らないものを排除して自己責任で駆け抜けたところで、神様の機嫌一つで津波は起こるしウィルスは蔓延するし、ミサイルだって飛んでくるでしょうからね。

自己責任で自分を凝り固めていく生き方もあるのでしょうが、私はもっと身の回りのものにも目を向けた方が幸福度は高い気がしました。

「自然からもらったものを、自然に還していくだけ」という自然体でいる気持ちが大事なのかもしれません。

 

なんにせよ今年は本当に人生の転換期となる一年だったように思います。

志村けんさんが亡くなったことから始まり、三浦春馬さんや竹内結子さんなどの真面目そうな方々が自死を選ぶという悲しいこともありました。

成功者が自死するような世の中で生きていくこと、これから私が手に入れるものと失ってしまうもの、他人との付き合い方、神様が死んだ時代に神様に祈ること。

 

数年前に鬱病を克服してから、私は少し傲慢だったかもしれません。

何かを失う前に、身の回りの大切さに気付けたのは不幸中の幸いでしょうか。