出る杭は打たれる。という状況が好きだ。
これは打たれたいとかMっ気のある話ではなく、何かものごとの先頭に立って、自分の立場が悪くなろうが正しいと思うことをするのが好きなのだ。
「出る杭は打たれるが、それは信用になって返って来る」という亡き先輩の言葉もある。
とはいえ、最近仕事をしている中で、どうにも味方となっている人が減っているように感じる案件があった。
評価をしてくれる人ももちろんいるが、私が主導権を握っていることが面白くない人がいるようだ。
信頼していた先輩が病気で亡くなってしまってから、私自身気負い過ぎて突っ走ってしまった面もあるかもしれない。
出る杭は打たれるが、出過ぎた杭はクイとして機能しないのかもな。なんてことを考えながら休日を過ごしていた。
バランスの取り方を考える必要があるかもしれない。
そんなことを考えていたら、「出る杭は打たれる」という言葉に違和感を感じた。
クイというはしっかりと打たれているのが正しいのであり、クイが出ているというのは悪いこと、ダメなことのハズである。
となれば「出る杭は打たれる」というのは、そのまま考えると「悪いことをすると打たれる(正される)」という意味になってしまうのではないか。
なんてこった!正しいと思ってクイを出していたのに、実際は私がただ単純に道理から外れてしまっていただけなのか!
なんて言葉遊びをしながら今日も出社した。
いずれにせよクイが出るのが正しいとは限らない、と自分を戒めることにした。