彼岸から見た景色

思ったことを適当に描いてみるエッセイ

「田舎には何もない」と言ってしまう愚かな僕ら

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日本中どこの田舎に言っても似たりよったりだろうが、青森県も漏れなく何もない田舎である。

特にみすぼらしいのが県庁所在地である青森市の駅周辺だ。

庶民向けの大型商業施設だったアウガは数年前に経営破綻し、今は市役所の一部として使われるようになったし、そこから少し裏通りに入っていくだけでシャッター街とはまた違った様相の廃墟のような商店街が並んでいる。

大通りは土日祝日ですら閑散としていて、数年前になにかのTV番組で青森市内のロケに来た芸能人も、「人がいない!」と笑いにしていたのが印象に残っている。

 

自然も、観光資源が豊富な隣の岩手県と比べるとどうにも物足りないように感じる。

これはまぁ「隣の芝生は青く見える」現象なのだが、青森県は北部の下北半島の仏ヶ浦、南部の奥入瀬渓流、西部の白神山地、中部の八甲田山くらいしかパッと思いつくところがない。

このうち白神山地は遠すぎて、小学校のバスハイク以来行ったことすらない有様である。

行ったところでガチな山であるので、行楽気分で行く場所でもないのだが。

 

そんなわけで私も普段から「青森には何もない」と簡単に吐き捨ててしまう地元民の一人なわけだが、先日青森のテレビ放送局であるRABのyoutubeチャンネルを見つけた。

きっかけはかつて昭和15年~48年の間に青森県で鉄の採掘をしていた地域である『上北鉱山』の当時の映像が同チャンネルに投稿されていたからだった。

 

上北鉱山は私の家から40分ほど車で走った山奥にあり、今ではもう人はおらず、鉱山跡の廃墟と管理会社の建物しか残ってないが、当時は5,000人ほどが暮らし、学校や映画館があるほどの立派な集落であった。

たまに町の文化センターなどで当時の生活などを写した写真や書類の展示会があって、仕事の休憩中にふと見に行ったりするのだが、熱気のあった頃の時代を思い浮かべるとエモさを感じてドキドキしてしまう。

そんな上北鉱山の動画を見ながら、ここに映ってる子供たちも今は70過ぎの爺さんかなとか、このお母さんたちはどういうしがらみの中で生きていたんだろうとか、色々と思いを馳せていた。

そんな大変な賑わいのあった一つの集落がたった2、30年で盛衰してしまうのも、今では考えられない程の時代のうねりを感じる。

 

RABのyoutubeチャンネルには他にも青森県内の昔の映像が投稿されている。

今年の夏に再訪して景色に感動した下北半島の『仏ヶ浦』の映像もあり、昭和の時代は盛大に祭事が行われていたり、フェリーが竣工された頃は地元の学校の女子児童たちによるバトンを使ったパレードも行われていたようだった。

また、私が八戸市に行くときによく利用する『八戸大橋』も、施工されていたころは毎日のように見物客が訪れ、完成後の落成式には橋上から溢れんばかりの人が集まり、まるでねぶた祭りのようにスーツ姿の関係者が闊歩している様を動画で見て驚いた。

いずれの動画にも、今では見ることができない人々の熱気がそこにあった。

 

私達はそうして築き上げてきたものを、”あたりまえ”のものとして傲慢な態度で「何もない」と言ってしまう。

これらのような動画を見ているうちに、それがとても情けなく感じてしまった。

周りを見渡して「何もない」と言えるほど、私たちは立派に、熱気を持って生きているだろうか。

潰れた商店街や大型商業施設だとか、そういった目に見える負の部分よりも、もっと重大で大切なものを失くしてしまってはいないだろうか。

私達の貧しい心はきっと、何を得ても「何もない」と吐き捨ててしまうのではないか。

 

物で満たされて、斜に構えるのが格好良いとされる時代は、もう限界が近づいている。

これからの「何もない」時代を変えていくのは、新しい時代の人たちの熱気なのだと、農家のバイト先の親父さんが優しい顔で言っていた。